2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

Map

  • 顔文字教室

-天気予報コム-
無料ブログはココログ

« 2011年2月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年3月

2011年3月18日 (金)

避難生活の中で ②

続きです。



避難生活報告 その3
  (3月16日付け)
  避難生活報告    
  お祈り感謝します。昨日、3月15日の真夜中1時、
救済物資満載のトラックとともに、近隣の店に立ち寄り、
棚にあるものを手当たり次第に買い込んで、トラ ンクと
後部座席をいっぱいにし、私たち夫婦は一路福島へと北上しました。
途中、道路の陥没と家の一部崩壊を目にするも、
思ったよりスムーズに移動しました が、テレビのニュースで
原子力発電所の再爆発と放射能漏れ、加えて避難区域の拡大や
現地に近づかないよう等の情報を耳にし、迷いながらも内陸路を選択。
会 津の避難所(教会)に午前11時に、10時間かかって無事到着しました。ハレルヤ
 約60名の教会員のうち、三分の一は
福島第一原子力発電所近くから来たということで、
まだ被ばく検査が終わらず、午後になって合流。
早速礼拝のときをも つと、すすり泣く声が聞こえ、
それぞれよほどのところを通ってここに着いたのだ、と実感しました。
夜は近くの温泉に行き、5日ぶりに風呂に入れる喜びを体 験。
会津教会の心づくしに感激。いちいち感動にふるえ、
あちこちで「生きてたの」と声を掛け抱き合う姿を見て、
また涙腺がゆるんでしまいました。
 とはいえ、ジプシーのような流浪の旅はまだ始まったばかりで、
家もなく、着の身着のまま出てきた人たちに
「洗濯の必要はありますか」と聞くと、「洗濯す るものがありません」との答えに、
返すことばが見当たりません。聞けば3日間飲まず食わずにいた人あり、
寒さに凍えて過ごした人もいるようです。
とはい え、漂流生活はまだ始まったばかりで、まずはガソリンの確保と
次の生きる場所の確保が急務です。60人の大所帯が一同に会し、
共同生活をするとなると、た だでさえ国家緊急事態の中、判断が難しく、
結局、山形に北上し長期戦を見込んで、体制を整えることとしました。
疲れのせいか病院に駆け込み点滴を受ける人 あり、
高齢者から小さな子供まで、それこそかみの大家族として、
出エジプトのように故郷脱出のあと、荒野を旅することになりそうです。
果たして私たちがあ の町に戻れるのか、廃墟となるのか、
2~3か月で帰れるのか、いつなのか、教会や家の扉を開く日が来るのかどうか、
すべてが漂流しているようで、手探りの 中、力を合わせ、
火の柱雲の柱に誘われて、旅するほかないでしょう。
 昨日は警察の方が私の車を特別災害用車両と認定し、
ガソリンを供給してくれました。明日からは米沢の教会が大きな犠牲を払い、
私たちを受け入れてくださ います。
今は人々のいつくしみや思いやりに感謝し、甘えて生き延びるほかありません。
まるで映画の一場面のようなドラマの人生を、まさか自分が体験すると は、
思ってもいませんでした。主よ、漂流をはじめたこの群れと、
各地に散っているレムナント(残された民)をあなたのひとみのようにお守りください。
 
「私 は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地をつくられた主から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る 方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
主は、あなたを守る方、主はあなたの右の手をおおう陰。
昼 も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月があなたを打つことはない。
主は、すべての災いから、あなたを守り、あなたの命を守られる。
主はあなたを、行 くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」詩編121篇



避難生活の中で ①

以下、知り合いのクリスチャン姉妹を通して送られて来た、

避難所生活中の、福島のある牧師さんの手紙です。

このような方たちのために祈っている人とシェアしたく、

ここで紹介させて頂きます。



避難生活報告 その1

諸教会の皆様、先生方へ

 

主の御名を賛美します。

ご心配いただき、ありがとうございます。お祈り感謝します。

 

3月11日の震災の時、私は東京キリスト教大学の卒業式に出席のために

千葉におりました。その後、道路状況やガソリンの給油が難しいことなどから、

今、引き続き、千葉におり、被災した教会員と、佐藤副牧師と連絡を取り合い、

安否を確認しているところです。

 三重の被害に遭い ました。地震で、ある教会員の家は半壊し、

海沿いに住む教会員の家族たちといまだに連絡がとれません。

JRの富岡駅は津波で流され、町は壊滅的状態です。

そして、ご存じのように、福島第一原子力発電所の事故が起こりました。

強制的に全住民の避難が命じられ、教会員は着の身着のままバスに乗り、

あちらこちら の小学校、中学校、体育館等々に分散して行きました。

なかなか連絡はとれないもの、必ずしも当初毛布が全員に行き渡らず、

寒さの中で一睡もできずに過ご した人もいました。

一日中水もパンも届かなかった避難所もあったようです。

心配なのは、肺炎のため入院していた末永兄弟は95歳にもかかわらず、

病院から 強制避難し、過ごしております。そのほか骨折中の方、

透析の必要のある方、小さい子どもを抱えている方、

障害のある子どもさんを連れている方など、心に浮 かんできます。

 その後、配給は朝昼晩おにぎり一個ずつ配られるようになった

との報告も受けています。ただ、疲労もたまり、病身の方と

お年を召した方のことが心配です。ぜひ守られるように熱くお祈りください。

 加えて、最もお願 いしたいことは、放射線の漏れがこれ以上ないように

お祈りください。最悪を考えると、家や町に戻ることもできずに、

もちろん教会も閉鎖となり、宣教の歴史 も今回の震災までで終わりと

なってしまいます。再び町に人々が戻り、教会の門が開かれ、

賛美と礼拝がささげられるように、どうかお祈りのご支援をお願いし ます。

 本日3月13日の 礼拝はもちろん、立ち入り禁止のゴーストタウンなので、

予定されていた洗礼式も婚約式もすべてがなくなりました。

果たして教会員の流浪の旅がいつまで続く のか、想像すると

暗澹たる気持ちにもなりますが、大自然をおさめる全能の主が

歴史の主として新たな宣教の1ページを導いてくださることを信じ、告白いたし ます。

 

森先生が今朝、 私からの電話を受けてお祈りの要請をしてくださいました。

感謝します。避難所の中のとりあえず十数名が会津チャペルにお世話になり、

そこに滞在させていた だくこととなりました。感謝します。

そのほかの方は今のところ各避難所で辛抱することとなりそうです。

何か支援できることがありますかと、多くのご連絡を いただき感謝します。

会津チャペルで食べるものなど、少し差し入れがあるとありがたいと思います。

献金の申し出も感謝します。

 

最後に実は先週の日 曜日、まさかこのような事態となるとは思わず、

「ヒゼキヤ、緊急の祈り」と題してメッセージをしました。

アッシリアに飲み込まれそうになる中、ヒゼキヤは 荒布をまとい、祈り、

預言者イザヤにも、国家存亡の危機に際し、緊急の祈りを要請しました。

すると、アッシリヤの王は自分の国に引き返し、ニネベの神殿で

自分の息子の謀反に遭い、亡き者となり、気がつくと脅威が去っていたという

不思議な歴史の顛末を目撃したことを確認し合いました。

そしてまさか、その週に 私たちの群れが緊急の祈りを要請し、

流浪の民のようにそれぞれの避難所にて日曜日の聖書の箇所を

かみしめることになろうとは想像だにしませんでした。

繰り返しになりますが、どうか教会の活動がピリオドを打ち、

宣教の働きがストップしてしまうことのないように、再びよみがえるように、

放射能がとどめられるように、熱くお祈りを、緊急のお祈りを、

祈りの結集をなにとぞよろしくお願いします。

避難生活報告 その2
諸教会の皆様へお祈り感謝します
教会員の安否はその後150名近く確認できました。ハレルヤ!
あ る姉妹は津波が足元に迫る中、危機一髪で泳いで難を逃れたとのことでした。
不思議に海沿いに住んでいた人も、守られました。
ただ、まだ、5,60名の人 の、安否が不明です。それにしても、
公衆電話から一人ひとりの携帯へ安否確認をしていると、自然と涙がこぼれます。
ふと、これは夢だろうかと思ったりもし ます。
スーパーに並び、避難所への物資を山のように買いました。
「買いだめをしている。」とささやく声も聞こえましたが、
弁明する気になりませんでした。
バ スに乗り、北へ、南へ避難所に向かった教会員は途中でばらばらになり、
一人ぼっちの人も3人で肩寄せ合っている人もいるようです。
ある避難所は温泉にも行 けるし、買い物もでき良い境遇だそうですが、
あるところは暖もなく、夜は冷え食べ物もわずかのようです。
とにかく寒いので靴下やホッカイロが必要だという ことで、
靴下をある店から買い上げてきました。
その後、auショップに行き避難所に携帯電話充電器を持っていきたいと話したら、
余っている充電コードを分けてくださるようお願いしました。
手渡してくれた店員さんに「がんばってください。」と言われて、ぐっときました。
いつからでしょう。海外の救援チームが助けに来た等のニュースを耳にすると、
目頭が熱くなります。このところ、涙腺がすっかりゆるくなったようです。
道路状況とガソリンの入手困難などから二時間後の夜中に
車を走らせ向かうこととなりました。救援物資を運んでくださる、
2台のトラックと一緒です。長老教 会の先生方に、感謝します。
以後、パソコンもないため返答困難と思います。ご容赦ください。
皆さんの声援とお祈りを背に受けて、主と共に行ってきます。
感謝と共に、ご報告まで。

2011年3月14日22時

カリフォルニアの原発

今日は、近所のCOSTCOでも日本への災害募金の箱が置かれていました。

集まったお金はレッドクロスへ送られるようです。

「募金はしたいが、仕方がわからない、電話をかける時間もない」

という人にはとても便利な方法です。

また、日本での東北への物流もかなり動き始めてるそうで、安心しました。

こちらの方は、日本の災害と、福島原発事故による

放射能関係のニュースが相変わらず多い今日この頃。

「福島原発事故によるカリフォルニアへの放射能の心配は無し」

という情報で今のところ落ち着いています。

しかし、そんな中、ちまたではやはり

原発の安全性に関する多くの疑問が浮かんで来ています。

アメリカにも100カ所以上の原発があり、

地震の多いこのカリフォルニア州にも何カ所かありまして、

その中の一つがオレンジカウンティとサンディエゴカウンティの

境目の海岸線沿いにあります。

サン・オノフレというサーフィンでも有名な町です。

Sanonofreair

4c92fb3ec9fcaimage

今の我が家に届く電力も、南カリフォルニアエディソン社を通して、

ここから来てる、ということですね。

アメリカ政府の、ある原発関係者は、

「アメリカの原発は絶対に安全だと、

国民一人一人の目を見ながら断言できます。」と言っています。


。。。そう願うばかりです。



ちょっと話はずれますが、

先日、お友達家族がお家にソーラーパネルを取り付けました。

ソーラーパネルは、最近ほんのちょっとずつですが普及して来ています。

そのお友達によると、今まで月に200ドル以上払っていた電気代が、

今は、月2ドル以下になり、とても良い買い物をしたと考えています。

電気代の個人の節約にもなるけど、

エコロジーの面でも電気の節約に協力できるというのは

とても良いことだと思いました。

エコロジーフリークではない私でも、自然にそう思いました。

一年を通して日照時間の多いカリフォルニア、

曇りの日でもソーラーパワーはちゃんと貯めれるそうです。

じゃあ、なぜ、もっと早くにたくさん普及して行かないのか、、、。

いつも不思議に思っていました。

電力会社と政治のからみでもあるんでしょうか?

その辺のところは私にはわかりませんが、

素人目で考えると、

まず、ソーラーパネルの値段が、、、高い。

そのお友達の家は平屋で5寝室。

決して特別大きな家ではないけど、工事費も込みで、

4万ドル近くかかりました。

日本円で軽く300万円以上です。

月々の電気代が2ドル以下になったとは言え、

もとを取るには結構な年月がかかります。

今のところ、カリフォルニア州ではソーラーパネルを家庭に取り付けると、

省エネ協力ご褒美の税金控除の対象となり、なかなか良い節税ができます。

しかし、これも、お金持ちには朗報ですが、

普段から収入が少なく、もともと払う税金が少ない中流家庭以下の

人たちには、あまり関係無い気がします。

しかも、中流家庭では、ソーラーパネルを取り付けたいと思っても、

こんなに金額が高くては、無理です。

そんなことを考えると、ソーラーパネルは一般ピープルにはまだまだ

手の届かない買い物です。

かといって、お金持ちさんたちでも、取り付けるところは

まだ全然多くないです。

なぜなのか?

恐らく、、、ソーラーパネルの見た目が、

あまりよろしくないからではないかと、、、。

家の外観や景観をとても重要視する人が多いカリフォルニアで、

屋根の上に大きなソーラーパネルが光るということは、

ちょっと考えてしまうのではないかと思います。

庭に置くという方法もあるようですが、

パネル自体がやはり大きいので、、、。

となると、

値段、サイズ、見た目など、ソーラーパネルの改良が

もっとどんどん進んで欲しいと願うところです。

そう言えばトヨタは、プリウスにとうとうソーラーパネルをくっつけましたね。


 

結構良いかも。









2011年3月16日 (水)

原発

 

アメリカでも日本の福島原発事故に関するニュースが増えています。

日本に在住していたアメリカ人の帰国者も増えていて、

あるニュースによると、放射能による甲状腺がんを防ぐと

されているサプリメントが、ロスアンジェルスやオレンジカウンティでも、

売り切れる薬局が増えてるらしいです。

でも、アメリカ政府は今のところ、日本の原発事故によって、

ハワイを含めアメリカで人体に影響を及ぼすような被害は

考えられない、と発表しています。

また、アメリカのニュースでは、

福島原発による放射能漏れに関しても、

いろいろな見解があって、意見が分かれています。

日本で漏れている放射能の量は非常に低く、

関東圏も含め、人体には全く影響無しというものから、

最悪の場合、チェルノブイリと同等の被害になり得る可能性がある、

という深刻なものまで、

いったい何がどこまで正しいのかわかりません。

今、私たちが住んでいるところは海が近く、南に少し行くと原発があります。

そして、明らかに地震の多い地域なので、

今回の東北の地震、津波、原発事故のことは、

本当に人ごとではありません。

それでも、みんな普通に生活をするしかないし、

ここら辺の人たちには目立った緊張感はありません。

原発に関する意見は、アメリカでも相変わらず賛否両論です。



教会から宣教師として埼玉に在住している友人家族の様子からは、

日ごとに緊張感が読み取れます。

その家族には数年前に心臓移植手術を受けた

幼い娘さんがいるので、特に慎重に判断をしなければならない状況です。

彼らはスーパーで買い占めすることは無いけど、

余震も続いてるし、こんな不安な状況に置かれたら、

小さな子供を持つ親が、食べ物などを買い占めたくなる気持ちは

理解できる、と言っています。

 

彼らがやっている支援活動も、出来る限りの努力をしているものの、

被災地への道路閉鎖などの影響により、また国からの規制もあり、

行くことも、物を送ることもままならず、なかなか活動が進まない様子。

アメリカの教会関係者から多くの物資援助の申し出があるのに、

それを被災地へ送る手段が薄い。

支援物資を送ってもらっても、交通、流通が開かない限り、

届けることができない。。。

送られて来た荷物が溜まってくるので、

それをどこに保管すれば良いのか考えなければならない、

というジレンマがあるようです。

 ところで、今日うちの近くの運送会社の窓口で、

今、アメリカから日本への荷物の受付を一時的に中断している、

と聞かされました。

ちゃんと届かずに戻って来る可能性があるから、ということでした。

他のニュースでも日本への物流は今滞ってるから、

今のところ、支援はまず募金が一番と言っていました。

 

  改めて、今回の災害で亡くなられた皆さんに深い追悼の意と、

 被災された皆さんへのお見舞い、また一刻も早い復旧をお祈りします。

 また、関東圏で余震の不安と停電に耐えながら、

 普段の仕事、生活をしようと努力されている方たちが

 早くもとの安心できる暮らしに戻ることができますように。

  命がけで原発の修復作業に取り組んでいる東電作業員の方に感謝し、

 作業員全員の無事を祈ります。

 そして、いまだご家族の安否がわからない皆さんが、

 一日も早く、愛する人と無事に再会できますように。

2011年3月15日 (火)

今できること

そうそう。

ある友達の質問に、ふと気がつかされました。

海外から見る日本は“秩序があって、冷静で素晴らしい”

という見解ですけど、“どこが?”でしょうか。

なぜ海外の人がそこまで感心するのか、

アメリカに関して考えてみました。

例えば、もしも、同じような災害が、

ロスアンジェルスやニューヨークで起きたら、何が起きるか、、、。

まず恐らく、大変な混乱状態に陥り、無法地帯になる。

買い占めなんて当たり前。

商店などに無法者と化した人々が殺到して襲い、

反抗しようとする商店の主も襲われ、ひどいときは殺され、

倒れてる人を踏んづけながら、人々が我先にと商品を奪い合う。

警官が人々の狂乱を沈めるために発砲しなければならず、

それによって、さらにけが人続出。

取りあえず、貧困者の多いところはまずこうなるでしょうね。

(*全部の地域がこうなるというわけではない。)

こんなわけで、海外の人が日本を見て何かコメントをするときは、

みんな多分、自分たちの国や他の国と比べて、

日本人は冷静だ、と思うのではないかと考えました。

しかし、実際に日本にいる人たちには、

良いところばかりが見えるわけじゃないから

何とも。。。


 さて、

今日はNHKのニュースを見ていました。

被災者や被災地の様子が見られてありがたい。

そして、被災地で賢明に生きようとしている人たちを見て、

安心しました。

これから長い復旧作業が始まると思いますけど、

日本人は本当に強い。

逆境にも強い。

忍耐強く、まじめで勤勉。

これは本当に誇っても良いと思う。

海外にいるからこそ、私たちには、

それがよりはっきりとわかります。

 

幾度と起こる地震を乗り越えて来た民。

二つの原爆を乗り越えて、乗り越えただけではなく、

その後、世界が目を見張るようなものすごい早さで

高度経済成長を遂げてきた国。

今日ニュースで見た被災者が明るい声で言っていた、

「みんなでまた、一緒にがんばるしかないですから!」

こっちが励まされた一言です。


今は誰を責めても始まらない。

一人一人が自分にできることから地道にやっていくしかない。

幸いなのは、日本人にはそれが出来る人が多いということ。

日本人って、本当にすごいなと思います。

地図で見たら、見逃しそうな小さな国の、

小さな民たちが、戦後の何も無い状態から、

世界第二位の経済大国となり、

長年それを保って来た国だもんね。

(*去年だか、とうとう3位に落ちちゃったけど)

またみんなでがんばろう。

がんばれニッポン

2011年3月14日 (月)

東電

 

今、東電の会見、USTREAMを通してライブで見てますけど、、、

何これ?

東電の吊るし上げ。

こんな質問のしかたじゃ、国民のいら立ちをさらにあおるだけだわ〜。

しかも、英語の同時通訳を聞いてるうちのダンナも

記者の意地悪な態度と質問に驚いてるわ〜〜〜。

いくら何でも、これじゃ東電の人たちかわいそうだ〜。

あ!!

あれ?

放送が、突然切れた。。。

“準備中”になった!

やっぱりね。。。

これは、ひどすぎるもん。。。

放射能の問題はすっごく大事だから、

必要な会見なのはわかるけど、

これじゃ全然内容がわからん。

電気の無駄。

記者たちよ、実際に国民がどう対応するべきなのかがわかるような質問してー。

不明者の発見を助ける放送とか、

家族を捜している人の助けになれる放送とか、

物資援助の情報とか、

そういうことにももう少し時間を割いてくれないかな。。。


2011年3月13日 (日)

最善の努力

 地震から3日めに入りましたが、

アメリカでは引き続き日本への注目が続いています。

 そして、しばらく連絡が途絶えていた友人たちや、

教会の友達、その他たくさんのアメリカのお友達が、

日本の家族を心配して、私に電話をくれています。

ありがたいことです。


日本のみなさん、海外からもたくさんの人たちが、

日本へエールを送っています。

がんばって下さい!

 今日もニュースを見ながら、成り行きを見ていますけど、

こちらでは、日本の落ち着いた対応や被災者の人々の秩序ある行動に、

アメリカ人からは感心する声も上がっています。


しかし、このような災害があると必ず出てくるのが、

心ないデマや、人の不幸を喜ぶような発言、、、。

本当に、不愉快です。。。

そして、他に、私がとっても不愉快に思うことは、

報道関係者が繰り広げる“責任追及ゲーム”。

苛立ってもおかしくない被災者や地震の影響を受けた人たちが

まだ落ち着いているのに、

なぜ、報道関係のご意見番みたいなおじさんたちやアナウンサーたちは、

意味の無い責任追及に走るのでしょうか?

だいたい、質問が意地悪です。

明らかに、“被災者を心配して”、というよりは、

“自分の正義感をでもひけらかそう”としているような、

とにかく、誰かの失態を責める口実を探しているようにしか聞こえません。

今日の朝も、日本からのあるテレビ局のライブニュース放送を

インターネットで見ていたら、

キャスターなのか、解説者なのか知らないけど、

とても偉そうなおじさんが、気象庁や、東京電力、政府の対応に,

意地悪にしか聞こえないような責任追求愚問をまき散らしていて、

私の不愉快指数が、ぐぐぐ、っと上がりました。

私は「そんな小学生のいじめっ子みたいなことを、

公共の電波で放つ暇があるのなら、

あなたは、今すぐに現地に行って、

一生懸命寝ずに災害に対応している人たちと一緒に働いてみるか、

助けを待ちながら死にかけている人たちを

実際に救助しにでも行った方がいいよ!。。。」と思っていると、


同席していた若い女のキャスターが、

「とにかく、これは非常事態です。それよりも、

今この時点で、できることを出来る限りするしかありません!」とピシャリ!

全くその通りです。

今後のために、反省や責任追及も大事なことかもしれませんが、

今、この時点での意味の無い意地悪な質問は、

東京電力や、政府、気象庁など、

一生懸命対応に追われている人たちの仕事の妨げにもなりかねません。

どう見ても、彼らは彼らにできる最善の努力をしていることは間違いないです。

滅多に起きないこんなに大きな地震と津波を、

人間である私たちの誰がどこまで予測できて、

完璧な対応を出来るとでもお考えでしょうか?


被災者の方やその家族が、苛立つのはわかりますけど、

報道関係の人たちは、お願いだから、状況を考えて、言葉を選び、

救済活動がスムーズに進むように協力を心がけて下さい。

テレビのニュースに出るくらいなんだから、きっと賢いはずですよね。

日本人同士の、意味の無い醜い責任追及ゲームは、もう懲り懲りです。

特に、今のような、多くの人の命が失われている時に、聞きたくないです。

“東京電力関係者、責任を問われて自殺”なんてことが起きたらどうするんでしょう。


それこそ、何?それは、第三次災害をでも引き起こす気ですか?


本気で、熱くなります。

生まれて初めて、テレビ局に抗議の電話を入れようかと、

本気で考えてしまいました。。。


2011年3月12日 (土)

TSUNAMI

 木曜日の夜でした。

子供たちが、「ママ、日本で大きな地震だよ」

私、「あ〜、日本はね、ちょくちょく地震があるからね。大丈夫でしょう。」

。。。

しかし、約30分後。

ダンナの「日本が大変だ!ちょっと、これを見て!!」という

驚きの声の調子に、やっと私も反応。

そして、そこで見たテレビの画面には、

映画のシーンかと思えるような、目を疑う光景が。

私の愛する国が、ものすごい大きな力で揺り動かされる。

まるでプラスチックのおもちゃのように、さらわれる車、建物、漁船。

海が、波が、街をいっきに吞み込む。

私の愛する国の、愛する同胞(国民)が、

なすすべもなく、怯え、命からがら逃げる。

逃げ遅れた人がいるのは一目瞭然。

もう、固唾をのんで見守るしかない。。。


“家族の無事を確認”

私もやはり、普通にそれを考えました。

でも、電話がつながらない。

友人の携帯にもメールをする。

反応無し。


そこで初めて、被害のひどさを改めて実感。

電話も携帯も駄目。

そして、ようやく友達のtwitterをクー太郎が見つけ、

それを読んで、取りあえず、北海道の故郷の安全を確認。

それからすぐにFacebookで、東京近郊の友人の様子を読み、緊張感が増す。


“ここ(カリフォルニア)まで来るであろう、波の影響は?”

今私たちが住むところは、海がかなり近い。

しかも、平坦で、明らかに津波に注意すべき地域。

でも、さすがに太平洋は大きい。

昨日、ハワイやオレゴンなどで少し被害が出ましたが、

ここは大丈夫です。

さすがにビーチは閉鎖されましたが。。。

 
 夜が明けて、やっと妹からEメールの返事が。(安心)

しかし、同じ旭川市内に住む親とも電話がつながらないということで、

またまた驚き。。。

 
そして、今日土曜日も、朝からアメリカでは日本の"TSUNAMI"のニュース。

みなさんもご存知かと思いますが、奥尻島の津波災害あたりから、

英語でも、"tidal wave"と言わずに、“Tsunami"と言う言葉が頻繁に

使われるようになり、今では、アメリカのニュースでも普通に

“Tsunami”という言葉が用いられます。

 私たちの教会はもちろん、あちらこちらの教会で、

地震発生直後から、日本のために熱心な祈りが捧げられています。

昨日は、ニュージーランドから帰って来たばかりのロスの消防隊員が、

日本への出発準備をしていました。


今日は、ニューヨークから、救援隊が出発しました。

一刻でも早く、より多くの助け手が日本に届くことを

そして、今は、まず、一人でも多くの命が助かることを心から祈ります。


« 2011年2月 | トップページ | 2011年5月 »